2011年5月11日 星期三

アンマー

現在的小孩腦袋都不知道裝些什麼東西。

但是在讓人搖頭的外表和言行之下,還能擠出點心思寫首歌騙騙老媽,實在讓人安慰到說不出話來,連打小孩打到腰酸背疼都給忘了。

不知我家那個臭小子幾時才會懂得哄騙老媽。



初夏の晴れた昼下がり 私は生まれたと聞きました
母親の喜び様は大変だったと聞きました
「ただ真っ直ぐ信じる道を歩んでほしい」と願いこめて
悩みぬいた末に この名を私に付けたと聞きました

我が家はあの頃から やはり裕福な方ではなく
友達のオモチャや自転車を 羨ましがってばかり
少し困ったような顔で 「ごめんね」と繰り返す母親のとなりで
いつまでもいつまでも 泣いたのを覚えてます

アンマーよ 
アナタは私のすべてを許し すべてを信じ すべてを包み込んで
惜しみもせずに何もかも 私の上に注ぎ続けてきたのに
アンマーよ 
私はそれでも気付かずに思いのままに過ごしてきたのでした

「強さ」の意味をはき違えて ケンカや悪さばかりをくり返し
勝手気ままに遊びまわる 本当にロクでもない私が
真夜中の静けさの中 忍び足で家に帰ったときも
狭い食卓の上には 茶碗が並べられていました

自分の弱さに目を背け 言い訳やゴタクを並べ
何もせずにただ毎日を だらだらと過ごし続け
浴びるほどに飲んだ私が 明け方眠りに落ちる頃
まだ薄暗い朝の街へ 母は出て行くのでした

アンマーよ 
私はアナタに言ってはいけない 決して口にしてはいけない言葉を
加減もせずに投げつけては アナタの心を踏みにじったのに
アンマーよ 
アナタはそれでも変わることなく 私を愛してくれました

木漏れ日のようなぬくもりで 深い海のような優しさで
全部全部 私のすべてを包み込んだ
アナタの背中に負われながら 眺めた八重瀬岳の夕陽は
今日も 変わらず 茜色に街を染める

度が過ぎるほどの頑固さも わがままも卑怯な嘘もすべて
すべて包み込むような 愛がそこにはありました
アナタのもとに生まれ落ちたことは こんなにも幸せだった
今頃ようやく気づきました こんな馬鹿な私だから

春先の穏やかな朝に 新しい命が生まれました
アナタの様によく笑う 宝石みたいな女の子
「優しさの中に凛々しさを秘めた人」になるようにと願い
アナタの一番好きな 花の名前を付けました

2011年5月10日 星期二

島唄

島唄原先指的是沖繩的民謠,山梨出身的樂團THE BOOM成員宮沢和史在沖繩當地聽到島唄音樂後,深受感動,寫下了島唄(ウチナーグチ・ヴァージョン),並在1992年發表。此後,這首歌便成了沖繩的代表音樂之一,許多在地歌手都先後翻唱,包括夏川里美。



但是,這首詞曲優美的歌,描述的卻是二戰時慘烈的沖繩戰役



でいごの花が咲き 風を呼び嵐が来た
でいごが咲き乱れ 風を呼び嵐が来た
くり返す悲しみは 島渡る波のよう
ウージの森であなたと出会い
ウージの下で千代にさよなら

島唄よ 風に乗り
鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り
届けておくれ 私の涙
 
でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
ささやかな幸せは うたかたの波の花
ウージの森で歌った友よ
ウージの下で八千代の別れ

島唄よ 風に乗り
鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り
届けておくれ 私の愛を
 
海よ 宇宙よ 神よ いのちよ
このまま永遠(とわ)に夕凪(ゆうなぎ)を

島唄よ 風に乗り
鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り
届けておくれ 私の涙
 
島唄よ 風に乗り
鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り
届けておくれ 私の愛を

中譯

蝶花盛開 風狂吹 暴風雨欲來
蝶花亂開 風狂吹 暴風雨欲來
反覆湧上心頭的悲傷 有如不斷拍上島嶼的浪花
在甘蔗林中和你邂逅
卻在甘蔗林下與你永別

島歌啊 乘風而去
和鳥一起 渡過海洋
島歌啊 乘風而去
為我傳達 我的淚水

蝶花散落 隨波散去
細微的幸福 就像易逝的浪花
在甘蔗林中一同歌唱的朋友呀
在甘蔗林下永遠地別離

島歌啊 乘風而去
和鳥一起 渡過海洋
島歌啊 乘風而去
為我傳達 我的愛

海呦 宇宙呦 神呦 生命呦
就這樣永遠地靜止吧

島歌啊 乘風而去
和鳥一起 渡過海洋
島歌啊 乘風而去
為我傳達 我的淚水

島歌啊 乘風而去
和鳥一起 渡過海洋
島歌啊 乘風而去
為我傳達 我的愛


三線之味

三味線是日本的傳統樂器,據信源自於中國的三弦,不過這當中還先經過沖繩。

也就是說,在秦代產生原稱為「弦鞀」的樂器,經過演化後成為南管中的三弦,然後傳到沖繩,經過沖繩人改造,加入鼓和手拍子後,成為沖繩特有的樂器三線,然後再傳到日本,成為日本的傳統樂器三味線

這三種樂器雖然系出同門,但是演奏出來的樂風有很大的差異。近年來日本的三味線有了很大的演變,許多年輕的新血加入演奏行列,這些年輕人挾著青春與熱血,將原本老叩叩的三味線變成非常炫技、非常現代的演奏樂器,而這些年輕演奏家也獲得極大的支持,樂迷們將他們視如現代武士與搖滾巨星合體般的崇拜。



比較起來,我最喜歡的還是沖繩三線,晴朗的南國天空下,悠悠閒閒的彈奏三線,邊唱邊舞,單純、與世無爭,卻意味深遠。

近來在找三線歌曲時,偶而發現一個團體BEGIN,很讓人驚豔。



沖繩和台灣同樣是太平洋上的島國,同樣有著和平樂天的住民。沖繩以流求之名,最早出現在7世紀時的隋書記載,在13世紀時出現第一個有明確歷史的王朝英祖王朝。

算起來沖繩的文明歷史比台灣要早得多,但也和台灣一樣,始終無法擺脫鄰近大國的干預和控制。14世紀時,琉球成為中、日、朝鮮及東南亞海上貿易的重鎮,但也一直受到中、日兩大國的轄治,得兩邊進貢討好,在夾縫之間生存的滋味,琉球人應當深有體會。

清朝開始衰敗後,日本大動作宣稱對琉球的主權,又歷經日清戰爭、兩次大戰,琉球的主權問題始終延宕未決。二戰後美國佔領球琉,琉球人掀起復歸運動,堅持回歸日本,終於在1971年美日簽定「歸還沖繩協定」。

琉球人雖然失去了自己的王朝,在中、日、美三方爭奪之中,多次經歷異族入侵、家園成為戰場的悲慘命運,最後雖然無法獨立復國,但琉球人在險惡環境中的抉擇,以現況而言,無疑是最佳且正確的結果。

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2011年5月5日 星期四

去你的竹炭水

近來有個廣告頗惹人厭。


這系列總共3支廣告,分別指出酸性體質的人容易招惹蚊蟲、暴躁易怒、腦子常常打結。

因為我是「蚊子招呼站」,動不動就被叮得滿頭包,所以家裡其他人看了上面那支廣告後,就把我打入酸性體質一族,然後在另外兩支廣告播出時,一定要來嘲笑一番。

當然啦,我是鐵了心,寧可渴死了也不喝那家賣的竹炭水,它不但讓我被戴上一頂「酸性體質」的帽子,而且還將酸性體質的人「酸」了一頓,按上莫需有的罪名,只為了多賣幾瓶水。

所謂「酸性體質」這個名詞,至今尚未出現在任何正式的醫學論文上,而酸性體質為百病之源,也只是江湖傳說等級的論點而已。請看這篇"酸性體質"站不住腳

既然酸性體質在醫學上站不住腳,何來酸性體質招來蚊蟲、暴躁易怒、腦子會打結的論調?為了賣自家的產品,搬出偽科學來唬爛觀眾,會不會太無良了一點?